約束の時間の三十分前。アポロニオはラフな私服で、約束のカフェの前でうろうろしていた。
(早く着き過ぎただろうか……)
腕時計を見ても、やはり三十分前。一応、相手から「席を予約したからこの名前を伝えてくれればいいよ」とは聞いている。名前はゲーム内のユーザー名で、アポロニオはまだ相手の本名も知らない。
しかし、いつまでもこんなところで待っていられない。帽子とマスクで顔を隠しているからこそ、余計に不審者じみている。このままでは、カフェの営業妨害になってしまうだろう。
意を決したアポロニオは、帽子とマスクを外してカフェに入った。気づいた店員がすぐに寄ってきてくれて、アポロニオが告げた名前ににっこりと笑う。
店員はアポロニオの顔をちらりと見ただけで、特に反応しなかった。おしゃれなカフェらしく、接客もしっかり行き届いているらしい。アポロニオはそれだけでもホッとしつつ、緊張を高めていく。
「お連れ様ですね、すぐにご案内します」
「ああ……ん? もう来ているのか?」
「はい、さきほど来られましたよ」
「っ!!」
すでに来ている。そう聞いて、アポロニオは一気に緊張が限界まで高まった。絶対、自分の方が早かったと思っていたのに。心の準備が、全くできていない。
しかし、店員はそんなアポロニオを待つわけもなく、すたすたと歩いていく。アポロニオは慌ててその後を追った。店員は衝立の向こうを手で示し、「こちらでございます」と笑顔と共に案内を終了した。
アポロニオはごくり、と喉を鳴らして恐る恐る、歩みを進める。一体、どんな人が待っているのだろうか。これほどまでに緊張したのは、人生で初めてかもしれない。
衝立の向こうにいたのは――
「あ、お兄ちゃん、やっぱ早かったね」
「……ヴァ、ヴァッカリオ!? どうしてここに!?」
―—にっこりと満面の笑みを浮かべた、最愛の弟がいた。
アポロニオは腰を抜かしそうになりながら、何とか椅子を引いて席に着く。そこに店員がすかさずメニュー表を開き、お飲み物は?と聞いてきた。
「おいらはコーヒーで……お兄ちゃんは? カフェオレ? それともココアにする?」
「あ、え、コ、ココアで……」
「じゃあそれで」
アポロニオがわたわたしている間に、ヴァッカリオはさらりと注文を済ませた。スマートで無駄のない動き。それから、おもむろに端末を取り出してテーブルの上に載せる。
そして、例のゲームを起動し、アポロニオのゲーム内での名前を呼んだ。
「!!!」
「どーもこんにちは、始めまして……じゃないね、お兄ちゃん?」
そう言いながら、ヴァッカリオが示した端末の画面には。アポロニオのキャラと、隣り合った「結婚相手」のアイコンが表示されたマイページがあった。
「おま……おまえっ……!」
「あー言っとくけど! 騙したとかじゃないからね! クリュメノスも知らない話だよ!」
ガタッと椅子から立ち上がって、わなわなと震えるアポロニオに対して、慌ててヴァッカリオが顔の前で手を振った。そこに、タイミング良く店員が注文の品を持ってくる。
店員に不審そうな目で一瞬見られて、アポロニオは静かに椅子に座り直した。目の前に置かれたココアを前に、目を白黒させて顔色をころころと変えている。
「……あのさ、ほら、お兄ちゃん、前に一度このゲーム紹介してくれたじゃん」
「ん……ああ、そういえばそんなことも……」
「それでさあ、おいらも始めてみようと思って。それで……お兄ちゃんのユーザー名とか覚えてたからさ。クエスト相手募集掲示板行ったら、たまたま、お兄ちゃんと同じ名前の人がいて」
ヴァッカリオが話す内容を聞いているアポロニオは完全に俯いて、ココアに視線を落とした。ヴァッカリオの顔を見ることができない。
「ほら、あのゲーム、名前被りオッケーだったから、本人じゃないだろうとは思ってたんだけど。なんか……その、メッセージやり取りしてたら……あれ、これ本当にお兄ちゃんじゃないかって」
「っ!! ……そんなに、わかりやすかっただろうか……」
会えた嬉しさより驚きより、恥ずかしさが完全に勝ったアポロニオは思わず、涙を滲ませた。ヴァッカリオが慌ててフォローしてくれる。
「いやそんなことないよ! たぶん、普通の人なら気づかないと思う。おいらだから、わかっただけでさ」
そう言われても。ヴァッカリオと出会ったのは偶然で、自分の事がすっかりバレていた状態で。それで、ずっと「結婚相手」「ゲーム仲間」としてアポロニオはいろいろな事を話しかけて、たくさん楽しい思いをした。
ほのかにあった、アポロニオのドキドキとしていた心にひびが入って、ぽろぽろと崩れていくのがわかる。自然と崩れたのではなくて、アポロニオが自分でそれを踏み潰した。そんな心なんてなかった、そうとでも言い聞かせるかのように。
「全部、嘘だったというのか……いつ、気づいたんだ」
「あー……だいぶ、初期かな……」
ヴァッカリオが告げた日付は、確かに会話が増えつつあった頃だ。まだ、一日のうちで寝る前にちょっとやり取りする程度の頃。今は、朝も昼も夜も、時間があれば些細な会話を楽しんでいるアポロニオがいた。じわりと滲んだ涙が、こぼれそうになってアポロニオは鼻を鳴らした。まさか、子供でもあるまい、たかがゲームで泣くなどと……。
それに気づいたのか、ヴァッカリオは困ったような顔をして、ひどく優しく、穏やかな声音で話し出した。
「ねえ、お兄ちゃん、なんか騙したみたいになっちゃって、それは本当申し訳ないと思ってる。でもね、おいら、お兄ちゃんとの『結婚生活』すごく楽しかったよ」
「それは……」
「お兄ちゃんは楽しくなかった?」
「……楽しかったぞ」
聞かれてしまえば、アポロニオはそう答えるしかない。楽しかった。だからこそ、こんな不安と懸念しかない中で、会おうという気持ちになったのだ。ヴァッカリオの手がテーブルの上を滑り、アポロニオの固く握られた手に添えられる。
「そうだよ。だから、『全部嘘』なんかじゃない。それは、信じて欲しいな」
「ヴァッカリオ……」
「おいらだって、今日、こうやって目の前にお兄ちゃんが来るまでは……確信持てなかったしね」
ヴァッカリオはそう言って苦笑を浮かべた。のろのろと顔を上げたアポロニオは、その表情を目にして、ようやく心が落ち着ていくのを感じた。ヴァッカリオも、あくまでも「もしかしたら」と思っていただけだ。それだけの事。
「では、私だとわかったうえで、あのような態度をしたわけでは……」
「ないない! 普通だよ普通。だいたい、お互い、個人情報は言わなかったでしょ」
さすがに弟の話を振られたときはちょっと反応に困っちゃったけどね、とヴァッカリオは笑う。
そう言えば、とアポロニオは思い返して、改めて顔を赤くした。クリュメノスに言い含められていたとおり、「自分の身バレ」には気を付けていたが、ヴァッカリオの事はそのままストレートに相手に話していた。もちろんさすがにディオニソスXIIであるという事は明かしていないが、身長が高い、ハンサムなどに始まり、昔は可愛かっただの、ヒーローとして大活躍しているだの、かなり細かい話をしてしまっていた。
「もう、お兄ちゃん。ああいう話でも個人特定されちゃうから、気を付けないと。今回はおいらが相手で本当に良かったよ」
「すまない、確かにそうだな……。聞く人が聞けば、お前だとわかってしまったかもしれない」
「ジャスティスカーニバルの時に公開で話してた『アポロンVIの弟エピソード』と内容被るところもあったしね」
「ぐっ……」
それは完全に特定されてしまうレベルの、個人情報漏洩ではないだろうか。アポロニオはふぅ、と息を吐いた。ヴァッカリオに騙されて裏切られたような気持ちを抱えたのも事実だが、こうして言われてみれば、逆にヴァッカリオが相手で本当に良かった。もし、悪徳ユーザーであれば、今頃アポロニオの……アポロンVIのスキャンダルな話が週刊誌の紙面を賑わせているか、場合によってはもっと悪い方向に転がっていたかもしれない。
「本当にお前が相手で良かったよ」
「ヘヘヘ、でしょ? ところでさあ」
アポロニオの手に添えられたままだったヴァッカリオの手が、意図をもってするりと動いた。その仕草に、アポロニオは心臓がどきりと音を立てる。いや、いったい、何のどきりなんだ、とアポロニオが思っていると、ヴァッカリオの口がゆっくりと開いた。
「お兄ちゃん。おいらに……俺に、惚れた?」
「っ!!」
「この前の、『月夜の丘』でデートしたときに……言ったよね、『俺、君の事好きだな』って」
アポロニオは一気に顔を赤くした。覚えている。その日、マンスリークエストの「相手と一回デートをする」をこなすために、二人で『月夜の丘』という夜にしか開かないスポットに出かけたのだ。その場所でしか手に入らないアイテムもあって、アポロニオは喜んで相手の……ヴァッカリオの誘いに乗った。
そこで、デートとして二人で丘を散策(と言っても、実際にキャラクターを動かすわけではなくてタップするだけで勝手に背景が切り替わるだけのアポロニオにも親切な設計だ)し、最後に丘の上にある愛の鐘と言うモニュメントの前で。アポロニオの「結婚相手」は会話が一瞬途切れたその隙間に、その言葉を自然と乗せてきた。
忘れるわけもない。その言葉を見た時、アポロニオは話そうと思っていたことを全て頭から飛ばして、端末も放り出して枕に顔を埋めて悶えていたのだ。ストレートに言われて、照れてしまったというのもあるし、何をどうしたらいいかわからない、アポロニオの知らない「恋愛感情」に振り回されてしまい。アポロニオはドキドキした心が一回り大きくなったのを薄っすら自覚しながらも、慌てて『俺もだ!』と短いメッセージを送るのがやっとだった。
「その時、お兄ちゃん『俺もだ』って言ってくれたけど。……あれは、ビジネス?」
ヴァッカリオはアポロニオの手を取り、真っ赤になったアポロニオの顔を覗き込むようにしながら真剣な顔で訪ねた。その眼差しに、さきほど踏み潰して捨てたはずのドキドキした心がまた疼き始めるのをアポロニオは感じる。そして、嘘も隠し事も苦手なアポロニオは、どもりながらも素直に答えた。
「違う、ビジネスではない。あれは、本心だ。私は、お前を好いていた」
「過去形?」
「っ! それは……」
ふっ、と笑ったヴァッカリオが緩く握っていたアポロニオの手を強く握り、その手を自らの口元に寄せる。アポロニオが見ている目の前で、ヴァッカリオは手の甲にリップ音を立ててキスをした。
「現在進行形、だろ? だったら、リアルでも……同じようになっていいんじゃない?」
鈍感なアポロニオでもわかる、ヴァッカリオからのお誘い。恋愛の、お誘い。恥ずかしくて恥ずかしくて、ヴァッカリオから視線を外したいのに、真っ直ぐに向けられた視線が自分の瞳を捕らえて離してくれない。
「う……ぁ……」
「俺、君の事好きだな」
あの時と同じセリフが、リアルで、ヴァッカリオの顔と声と、手から伝わる体温に彩られて、アポロニオに絡みつく。気づけば、アポロニオは、あの時と同じドキドキした心に突き動かされて口を動かしていた。
「私も、だ」
するりと流れでた言葉に、アポロニオが自分で驚くより早く、ヴァッカリオの顔にふわりとした笑顔が浮かぶ。アポロニオはその顔を、きれいだ、と見惚れてしまった。きっと、普段のヴァッカリオの笑顔なら可愛いな、と思って終わりだろうに――今は、ただ、きれいだ、と。
「良かった」
短く吐かれた言葉と共に、ヴァッカリオの美しい顔がすっとアポロニオに近づく。アポロニオが目を瞬かせるうちに、唇に温かく、柔らかいものが押し付けられる。一度だけ、強く押し当てられた後にそのぬくもりは去っていく。ヴァッカリオの片手が、アポロニオの頬をゆっくりと撫でた。
「良かったよ、振られなくて」
「……!?」
「キスはリアルじゃなきゃできないから、ね」
「な……な……!」
キスをされた、と遅れて気づいたアポロニオは顔どころか耳から首まで見事に赤く染まり切り、口を何回もはくはくとさせた。そんなアポロニオを、ヴァッカリオは愛しい者へ向ける愛の籠った視線で見守る。ひとしきり狼狽えたアポロニオが人心地着けようとココアを口に運んだところまで、ヴァッカリオにとっては想像の範囲内だったが。
「で、お兄ちゃん、この後の予定は? ないよね? 確か今日は一日空いてるって言ってたし」
「あ、ああ……特に予定はないが……」
「ん。じゃ、場所を移そうか。予約してあるんだよ、レストラン」
「は……?」
ヴァッカリオが告げたレストランの名前は、アポロニオも接待や歓待で何回か使った事のある高級レストランだった。アポロニオは怒涛の展開に流されるままであっても、そこのレストランがそう気軽に行ける価格帯ではないことを知っている。
「もともと夕食食べに行こうって話だったろ。一人じゃ寂しいから、今日は二人で」
ふ、と笑ったヴァッカリオはコーヒーを喉に流し込んだ。アポロニオも慌ててココアを飲み切ろうとカップを持って口に運ぶが、中身はすっかり空になっていた。カップが空になった事すら、わからないぐらいパニック状態だったのだ。
アポロニオが空のカップを置くのを確認してから、ヴァッカリオは低く男らしい声で「もう行こうか?」と優しくアポロニオに尋ねる。その言い方や振る舞いが、本当にゲームの中の「結婚相手」そのもので。アポロニオはドキドキしっぱなしの心を抱えたまま、頷いた。
当たり前のようにヴァッカリオは伝票をもって、レジで二人分の会計をまとめて支払う。後から追いついたアポロニオが財布を出す暇もなかった。
「ん、いいよ、今回誘ったのは俺の方だから」
「い、いいのか? いや、しかし」
「そう思うなら、今度また何かに付き合ってよ」
このやり取りも、アポロニオは身に覚えがある。ガチャで目玉のアバターが出ない、と呟いたときに相手がどこからともなく入手してきてプレゼントしてくれた時の。それを思い出して、アポロニオはもう、どうすればいいのかわからなくなってしまった。ゲームの中の相手を好いていたのは事実で、しかしその相手はリアルではヴァッカリオで。
カフェから出たところで、ヴァッカリオがアポロニオに手を差し出す。すっかり固まってしまったアポロニオは、その手を取れなかった。ここで、その手を取ったら。きっと、元の「兄弟」には、戻れないだろう。
戸惑うアポロニオを、ヴァッカリオは急かしもせずにただ黙って見守っている。ただ、静かな声で「アポロニオお兄ちゃん」と名前を呼んだ。
「ヴァッカリオ……」
アポロニオはのろのろと顔を上げて、手を差し出してきた相手の、ヴァッカリオの顔を見る。その顔に浮かんでいたのは、間違いなく、アポロニオがさっき「きれいだ」と思った笑顔。
恋愛偏差値はオリュンポリスでも屈指の底辺だろうし、恋愛駆け引きなんてやったことも無ければ相手から仕掛けられても気づきもしない。そんな自分が、ゲームの中で、疑似恋愛とは言え……恋、をした。そうだ、自分は、ヴァッカリオに、恋をしたんだ。
ドキドキとした心が、アポロニオの中で必死に主張している。一度、踏み潰して粉々に砕けて投げ捨てたあの心が。元の形に戻って、ひびも消えて、直るどころか、もっと大きく色鮮やかに、恋の花をアポロニオの中に咲き乱れさせている。何の心だろう、と首を傾げていたアポロニオはもういない。これは、恋心、だった。
「ヴァッカリオ!」
アポロニオはたまらなくなって、ヴァッカリオの差し出した手を取ると同時に、ヴァッカリオに抱き着くように飛び出した、ヴァッカリオは難なくアポロニオの体を受け止めて、抱きしめ返してくれる。アポロニオの背に回った大きな手が、とても温かかった。
「ふふふ、こうやって抱き合うことだって、ゲームじゃできないし、ね」
「……ゲームではできないことだらけではないか」
「まさか。ゲームじゃないとできないことも多いでしょ。そうじゃなかったら……きっと、こういう風にはならなかっただろうし」
さあ、レストランまでエスコートするよ、とヴァッカリオはアポロニオの手を取って歩き始めた。ここのカフェも、レストランから近い場所にある。最初から、ヴァッカリオは全てそのつもりで以前から準備していたのだろう。もし、アポロニオが否を返していたら……その想像をしたアポロニオは頭を振った。否なんて、返すわけがない!
「なあ、ヴァッカリオ」
「ん、なに?」
「その……ゲームの方だが……やめてしまうのか?」
歩きながらおずおずとアポロニオはヴァッカリオに尋ねた。もはや相手の中身もわかってしまって、今までどおり、とはいかないだろう。なんなら、リアルで「お付き合い」を始めたのだから、わざわざ疑似恋愛する必要もない。だがしかし、アポロニオは恋愛要素抜きにして、あのゲームが気に入っていた。
「いや? やめないよ? あれはあれで面白いじゃん。ゲームでしかできないこともあるだろうし」
「そうか……いやしかし、今後、どういう態度にすればいいのやら……」
ヴァッカリオは笑い声をあげた。アポロニオの心配を吹き飛ばすような、快活な笑いだった。
「いいよ、気にしなくて、お兄ちゃんのやりたいよにやれば。今までどおりでいいんじゃない? どうせ、個人情報や機密はあんなゲーム内じゃ話せないでしょ。……『俺』っていうお兄ちゃんも、新鮮で楽しいし」
「っ! ヴァッカリオ!」
「恥ずかしがらないでよ、褒めてるんだって!」
褒められた気がしないぞ、とそっぽを向いて唇を尖らせるアポロニオに悪かったって、とヴァッカリオは再度笑いながら言った。
結局のところ、中身の関係は変わっても。ゲームの表面上は、二人はとっくに「夫婦」であったし、ゲームを続けるなら……アポロニオの遊びたいように、やればよい、ということでひとまずの決着を見た。
その流れでそのままゲーム内の話になり。レストランまで歩きながら、新しいガチャがどうの、あの特別クエストが難しいだの、ゲーム内で交わしたメッセージと変わらない会話を繰り広げる。いつもと同じようなテンポの良い会話に、アポロニオはほっと息をついた。
そこでふと気づく。
「……お前もゲーム内だと自分の事『俺』と言っていたな? 普段は『おいら』の癖に」
アポロニオが悪戯っぽくそう投げかけると、ヴァッカリオは目をぱちくりと瞬かせた後に、ふっと口角をあげた笑みを浮かべた。男らしいその顔つきに、アポロニオの方がまたドキドキしてしまう。そのまま、ヴァッカリオはアポロニオに向けて身を屈めると耳に口を寄せた。
「だって、好きな人の前ではカッコつけたいでしょ?」
「!」
低い声で囁かれて、アポロニオはドキドキを超えてバクバクに変わっていった。好きな人の前、つまり、それは、アポロニオの事が好きで、アポロニオの前でカッコつけようとしてた、ということで……。
そんなパニック気味のアポロニオに、ヴァッカリオが追い打ちをかける。
「いつまでも『年下の弟』のままじゃいられないからね。俺じゃ嫌かい? アポロニオ?」
「っ! そっそんな事は無いぞ!」
「ならいいだろ。ま、弟の特権もたくさん使わせてもらうけど。ねえお兄ちゃん?」
くるり、と表情を変えてヴァッカリオがにっこりと笑う。それはアポロニオが見慣れた、可愛らしい弟の笑顔だった。さきほどまで、あれほどにカッコよい、笑みを浮かべていたというのに……!
バクバクする心を抱えて、アポロニオはこの先、自分はどうなってしまうのだろうと薄っすら尻ごみをしていた。ずっと可愛いと思っていたヴァッカリオが、こんなにも、こんなにも、男らしくて惚れるほどにスマートな男だったとは。心臓が爆発してしまうのではないかと言うほど、バクバクが止まらない。咲き乱れた恋の花が、散りもせずにますます盛んに咲き誇る。
「……しばらく、会うのは控えて、ゲームに専念したほうが良いのではないか……」
「えっなんで?」
ヴァッカリオに不思議そうに聞かれて、アポロニオは素直に「お前の顔を見ると心臓がバクバクして痛い」と答えた。それを聞いたヴァッカリオは、目を瞬かせた後に頬に朱をさしてぽりぽりと指でかく。
「お兄ちゃん、それ……いや、うん。これからたくさんリアルで会って、体を慣れさせた方がいいと思うよ」
「そ、そうなのか?」
「そうそう。あーそうだ、このことはクリュメノスには内緒だからね。……二人だけの秘密だよ、おねがい」
「! わかった……!」
二人だけの秘密。ヴァッカリオに頼まれてしまえば、アポロニオはもう断ることもできない。クリュメノスには何も言わない事にして、あとは、これからたくさんリアルで会う……リアルで! ヴァッカリオと!
本当にそれで慣れることができるのだろうか、と不安の皮を被った期待心を持ったアポロニオだったが――レストランの入り口で、ヴァッカリオに腰を抱えられて密着したことにより、初日にしてキャパオーバーをしてしまうのであった。
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