夜の帳に甘い恋 - 1/3

ヴァカアポ。原作無関係のパロです。乗り遅れた魔女集会ネタ。とある森にすむ魔女のアポロニオが人狼の仔であるヴァッカリオを拾って、可愛がった結果、最終的にはイケメンに育ったヴァッカリオに頭からまるっと食べられる話です(直球) 正統派BL的な感じを目指しました。 ※2万字近くあるのでちょっと長めです


魔女であるアポロニオがアポロンシティの広場で行われた出張診療所の片付けていると、難しい顔をしたシティの公務員が近づいてきた。

「どうした?追加の患者でも出たのか?」
「いえ、そうではないのですが……実は、対処に困っている案件がありまして、ご相談を……」
「ふむ……このあと予定もないし、話を聞こうではないか」

アポロニオが快諾するとその公務員は露骨に胸を撫で下ろしていた。よほど、頭を悩ませる問題なのだろう。
道すがら、公務員が掻い摘んで相談内容をアポロニオに話してくれた。彼の話すところによると、違法な奴隷商人を検挙して奴隷たちを回収したものの、その中に一人亜人と思わしき子供がおり、その子供の対応に手を焼いているのだと言う。

「すみません、本来であればこのような子供に行う対処ではないのですが……」

と公務員が辛そうな顔をしながら案内してくれた部屋にて、アポロニオは思わず絶句した。

「これは……」
「よほど酷い目にあったのか……誰が手を出しても噛みついては大暴れするので、仕方なく……」

その子供は小さな檻にいれられて、細い手足を不釣り合いな重々しい鉄製の枷で戒めらた上に、口枷もはめられていた。アポロニオと公務員の姿を見ると、途端に口枷の奥から低い唸り声を上げる。まさに、猛獣の威嚇であった。頭には黄色がかったブラウンベージュの髪色と同じような色合いの大きな耳、それから体に巻き付いているのは大きな獣の尻尾。

「……亜人、ではなくこの子は人狼のようだ。それでは人間の手に負えないのも当然だろう」

自責の念にかられる公務員の青年を慰めるように言って、アポロニオは青年に微笑みかけた。

「この子は私が預かろう。見たところ治療も必要そうだし、私なら人狼程度たやすく抑えこめる」

アポロニオが持っていた杖をひと振りすると、檻の中の子供が急にウトウトとし始め、その後間もなく安らかな寝息を立て始めた。それから、杖をもう一振り。小さな檻の扉が勝手に開き、子供がふわふわと宙を飛んでアポロニオの腕に収まった。優しく、子供の髪を撫でるだけで手枷や足枷が外れて足元に落ちていく。最後に、口枷が外れると、アポロニオは子供の口から垂れたよだれを愛おしそうに拭ってやった。

すみません、助かります、と何度も頭を下げる青年に鷹揚に手を振って、アポロニオは子供を抱えあげるとほうきに跨って空へと舞い上がる。見送りの市民たちに応えるように広場の上を一回だけ旋回すると、アポロニオは子供を大切に抱え直して自宅へと急いだ。

 

ふわふわとしたぬくもりの中、子供は良い匂いを嗅ぎつけて目を覚ました。見知らぬ布団に見知らぬ部屋。確か、変な男二人が檻の前で話をしていて、それから……。
ベッドから飛び降りると、騒ぐ腹の虫に従って良い匂いのする方へと歩く。木製の扉が半開きになっており、きぃ、と音を立てつつ開けてみると、テーブルの上に美味しそうな料理がいくつも並べられていた。思わず、湧き上がったよだれを飲み込む。きょろきょろ、誰もいないことを確認すると、子供はテーブルの上に飛び乗って料理にむしゃぶりついた。手づかみで鳥の丸焼きにかぶりつき、まだ温かい卵焼きを丸飲みするかのように口に押し込み、それからかぼちゃのポタージュをごくごくと一気飲み。

「これは良い食べっぷりだな」

食事に夢中になっていて、警戒を怠ってしまったようだ。後ろからかけられた声に、子供はテーブルの上の皿を落とし、床の上に破片を巻き散らしながら飛び降りた。狼、のような唸り声をあげて、声の主を睨みつける。

「睨むな、睨むな。私はお前にひどいことをしようとは思っていないよ」
「……ぐうううう……」
「ふむ……人間の言葉はしゃべれるか?」

黒いローブに身を包んだ、見覚えのある青年の問いかけに、子供は応えなかった。すぐにでも飛び掛かれるように、前傾姿勢で床に爪を立てる。

「やめておけ、お前の様な子供では私に指一本触れられない。相手との力の差を推し量るのも強さの秘訣だぞ」

そう言いながら、青年がひょい、と杖を一振りすると、子供の体はふわりと宙に浮いた。

「うわっ!?」
「可愛らしい声だな。さっきの唸り声よりよほど良い」
「おろせ!!」
「人間の言葉も喋れるではないか。全く、知性のない下級人狼かと思って心配したぞ」

よくわからないことを楽しそうに言いながら、青年はふわふわと浮かんだ子供が暴れるのも気にせずに、引き連れて家の外へと出た。何をする気だ、と子供が騒ぐよりも早く、ぬるいお湯が張られた大きめのバケツにぼちゃん、と落とされる。

「食事をしたら風呂。風呂で汚れを落としたらベッドで寝る。これが人間の生活だ、子供よ」
「っぷ!なにすんだよ!」
「汚い、と言っているんだ」

黒いローブを腕まくりした青年が、暴れる子供を抑えつけてやや乱暴に髪の毛をかき混ぜる。洗剤やブラシはやっぱり宙にぷかぷかと浮いていて、青年が指をくるりと回すだけで新しいお湯が飛んできて真っ黒に染まった泡を洗い流した。

「おまえ、まじょか……」
「そうだとも。魔女という存在は知っているのだな?」

ようやく会話が成り立った、と笑う青年に、子供は顔をぶすっとさせたまま俯いた。
魔女は、人狼と同じで人外だから、いざとなったら助けてくれる、と隣に住んでいたおじさんが話してくれたことを子供は思い出していた。人間なんかよりよっぽど信頼できるわ、とおばさんが言っていたことも思い出す。

「……何があったかはまだ聞かない。ただ、私は君を……そうだな、人間たちから引き取った。別に奴隷として働かせようと思っているわけでもない。長く生きていると、人恋しくなる日もあるものでな……」

よくしゃべるまじょだな、と思いながら子供はずっと張っていた緊張の糸を少し解して、濡れた髪の隙間から青年の顔を盗み見た。今まで見た人間たちよりも、柔らかい顔をしていて、少しだけ心が落ち着いたような気がする。

人狼の特徴でもあり弱点でもある耳と尻尾も、魔女はずいぶんと優しく扱ってくれた。自分のローブが濡れるのにもかかわらず丁寧に揉み解し、ブラシをかけながら何回もお湯と洗剤をたっぷりと使って洗い流す。あまりにも気持ちよすぎて、抵抗するどころかうっかりウトウトしてしまうほどだった。その様子を見ていた魔女は、小さく笑いを零す。

よし、終わりだ、と言われて大きなバケツから外に出された。この時に逃げようと思えば逃げれたのだろうけど……その魔女が、ふわふわとしたタオルで体を拭ってくれて、眠くなるほど温かく包み込んでくれたので、すっかり子供は尻尾を垂らして大人しくしていることにした。

魔女が杖を振るうと、小さな風が巻き起こり、思わず目を瞑ってしまう。おさまってから目を開けてみれば、子供用のパジャマに体を包まれていた。上等な布を使っているのか、肌触りがとても良い。

「さて、では寝室に案内しよう。今度は自分で歩けるな?」
「……いわれなくても」

魔女が手を差し出してきた。少し、躊躇った後に、子供はその手を取る。ただそれだけで、青年はとても嬉しそうな笑みを浮かべると、子供の歩幅に合わせてゆっくりと歩きだした。
青年が案内してくれた部屋は、最初に起きたあの部屋だった。子供が飛び出して行ったときのまま、寝具はぐちゃぐちゃになっていた。魔女が指をパチンと弾いてベッドメイクを完成させる。

「あとは気が済むまで寝ると良い。子供は寝るものだからな、たくさん食べてたくさん寝ればすぐに大きくなる」
「……」
「ここには誰もお前を害する存在はいない。安心しろ」

もぞもぞと寝具に潜り込むと、魔女は毛布を掛け直して頭を撫で、それから額に軽く口を寄せた。

「おやすみ。良い夢を」

魔法を使ったのか子供にはわからなかったけれど、そう言われただけで、あっという間に睡魔が襲ってくる。落ちるまぶたの向こうで、魔女がにこにこしながら見守っているのがわかった。最後まで抵抗していた心の中の棘が、眠りと一緒にどこかへ溶けていくようだった。

 

「ねえ、なまえは?」
「私か?私はアポロニオという。君は?」
「……しらない」

そうか、と魔女のアポロニオは困ったように笑った。
子供が起きた時、外はとっぷりと夜の闇に染まり、薄暗い部屋の中でささやかなランプの明りと共に魔女は何かを読んでいた。子供が目を覚ましたことにすぐ気づくと、本を閉じて体の調子を尋ねる。お腹も膨れたし、ゆっくり眠れたし、子供としては何も言うことはなかった。黙っていると、魔女が小腹が空いただろう、とお菓子を用意してくれた。

お菓子をつまみながら、ぽつぽつ、今の状況や、何がどうなったのかを二人で話す。ここは魔女の家で、奴隷狩りにあった子供を引きとったアポロニオ。戦争の余波で、どこかの国の騎士団に村を襲われ、そこから人間に捕まった子供。

好きな食べ物、近所のおじさんの話、両親の話。話題は尽きなかったが、魔女は子供の話をバカにすることも遮ることもなく、にこにこしながら、時に悲しみに触れるように眉を寄せ、ハーブティーを飲みながら最後まで聞いてくれた。

「では、私が名前を君につけても良いかな?」

うん、と子供は頷いた。本当は両親にもらった名前もあったけど、それは両親と共に、墓に入れた方が良いのだろうな、と自然と思い浮かんだ。人外は真名を相手に教えることを嫌う。今からもらう新しい名前も、時間が経てば自分の魂に馴染んで真名となるのだろうけど、今までの真名は隠しておくべきだ、と子供は本能的に察していたのだ。

アポロニオも、それをわかっていてあえて「名前をつける」と言ったのだった。少し、手元にあった本をぱらぱらとめくる。うーん、と悩んでいる姿を、子供はそわそわしながら待った。

「決められんな……この中で、ピンとくる絵はあるか?」

渡された本の文字は読めなかったが、何かいろいろと人間の絵が載っていた。ペラペラ、めくってから何となくカッコ良さそうな絵のところで手を止める。子供の手元を覗き込んだアポロニオはほうほう、と頷いた。

「なるほど……バッカスか……お前は将来、酒飲みになるのかもしれないな」
「???」
「それは酒の神だよ。神の名前そのままとはいかないから……私の名前の一部を与えよう。ヴァッカリオ、今日からそれがお前の名前だ」
「ヴァッカリオ」

言われた単語を繰り返して呟く。不思議と、心身に馴染んで心地よい浮遊感があった。何か魔法でも使ったのか、とアポロニオを見上げる。

「受け入れてくれたか。私の名前の一部を入れたから、神に比べれば些細なものだが私の加護も魂に組み込まれただろう。これから、お前が健やかな生を送れるように、と願いをこめた」
「えっと……どうして、アポロニオさんは、そんなにおいらに優しくするの?」

どうして、と言われると困るな、とアポロニオはどことなく遠い目をした。遠い誰かを思い出しているかのようだった。それから、ヴァッカリオよりも大きく温かい手で頭を優しく撫でる。

「人恋しくなったから、かな。新しい家族が欲しかったんだ……ふむ、親子にするには歳が近すぎるだろうから、兄弟、と言ったところだろうか?」
「じゃあ、アポロニオお兄ちゃん?」
「ふふっ!それは良い呼び方だ、アポロニオさんよりよほど良い」

アポロニオは声を上げて笑うと、ヴァッカリオを抱きしめた。ふわり、と太陽の香りがヴァッカリオの鼻をくすぐる。不思議な魔女だけれど、喜ぶ姿は普通の人間の様で、ヴァッカリオは少しドキドキしながらアポロニオを抱きしめ返した。

「これからよろしく頼むぞ、ヴァッカリオ」
「うん……よろしくお願いします、お兄ちゃん」

こうして、人間に追われるばかりの人生は終わり、ヴァッカリオは新しく魔女の弟となった。

 

アポロニオは、ヴァッカリオのことを本当の弟のように、いや、それ以上に可愛がった。ぎこちなく、他人行儀なヴァッカリオが作った壁をやすやすと越えてスキンシップを取り、文字や人間の文化を教え、それから、美味しくて愛情たっぷりの手料理を毎日、満腹になるまで食べさせる。

ヴァッカリオに与えられる愛情はとても美味しく、色彩が豊かで、幸せな日々を過ごせた。おかげさまで、檻の中でぶるぶる震えていた貧弱な子供はもうどこにもおらず、代わりに、すっかりたくましく成長してアポロニオよりも30cm近くも大きくなった成人男性が今は魔女の家に住んでいる。まあ、相変わらずアポロニオはヴァッカリオのことを可愛い可愛いと弟扱いするのだが。

……ヴァッカリオがアポロニオに出会う前の記憶で、一番楽しかったのは近所のおじさんとおばさんに魔女の話を聞いた頃だ。物心ついたときにはすでに両親は不仲で(今思えば、当時の不安定な情勢のせいだったのかもしれない)、食事と言えばテーブルの下に隠れてするものだったし、近所のおじさんとおばさんがたまにくれる小さなクッキーだけがヴァッカリオの楽しみだった。その村も、それからすぐに騎士団に焼き払われてしまい、もうこの世には存在していない。

それからあとは、思い出したくもない地獄の日々だった。人間たちに追い掛け回され、一緒に逃げたはずの友達や村の住民も散り散りになり、気づいたら檻の中。本当に、酷い目にあった。

「ん?どうした、ヴァッカリオ、ぼんやりとして」
「いや、昔のことちょっと思い出してただけ」

そうか、とアポロニオは頷くとスプーンでコーンスープをすくって口に運んだ。このアポロニオに出会えたおかげで、ヴァッカリオはようやく、この世に自分の足で立って生きていくことができたのだと思う。アポロニオに出会う前と、後で、世界の色彩はこんなにも変わるのか、と驚いたのは出会ってから数年のことだった。それまでのヴァッカリオは、生きることに必死過ぎて、世界を楽しむことなんて何もできていなかったのだ。

「今日は時間のかかる用事があるから、遅くなると思う」
「わかった。肉屋のおじさんの薬、たぶんそろそろなくなるから渡しといて」
「ああ。お前の作る薬はよく効くとシティでも評判だぞ」
「へへへ、お兄ちゃんの教え方がうまいんだよ」

褒めても甘やかすだけだぞ、とアポロニオは笑って食器を片付けた。その後ろを、ヴァッカリオも自分の食器を持って追いかける。

人狼であるヴァッカリオには魔力がなかった。だから、アポロニオの様に魔法を使えたりはしない。その代わり、アポロニオの役に立ちたい、と家にあった錬金術の本を読みこみ、アポロニオに教えてもらいながら技術を習得した。おかげさまで、ヴァッカリオの作る薬はそこそこの金額でそこそこに売れてくれ、そこそこの財産を築くことができている。独り立ちできるぐらいには。

「褒めなくても甘やかしてるでしょ。おいらももう大人なんだよ?」
「はっはっは、いくつになってもお前は私から見たら可愛い弟なのだ」

まったく、とヴァッカリオはいつもどおりの兄の態度に呆れながらも食器の片づけを手伝い、玄関から飛び立つアポロニオを見送る。アポロニオはいつものように家の上空をくるりと一周まわってからシティへと飛んで行った。

それが終わったら家の中の片づけをして、自分の鍛錬と、アポロニオが使って足りなくなった分や受け持った患者に必要な薬の調合。そして時間があれば読書。それがヴァッカリオの優雅な一日だ。

(……そう、もうおいらは十分な大人なんだよ、お兄ちゃん……)

一冊の本を持って庭に生えた大木の根元に座ると、ヴァッカリオは大きなため息をついた。持っている本は、アポロニオの盟友であるクリュメノスが渡してくれた『人狼の生態』という、人間が書き記した本だ。もう何回も読んだ、その本のあるページを開く。

――人狼の番。契。発情。

ヴァッカリオはまたしても深いため息をついた。この本を渡されたのはもう数年前のこと。そもそも、第一次成長期に差し掛かって牙や爪が鋭くなり始めたヴァッカリオを盟友クリュメノスに預けたのはアポロニオだ。同じ魔女であるクリュメノスは人狼の森に居を構え、多くの人狼に慕われている素晴らしい友人だ、とアポロニオは語ってくれた。

クリュメノスのもとに通い、人狼として力の使い方や生き方をヴァッカリオは教えてもらった。アポロニオは、「もし仲間のそばが良ければ向こうで受け入れてもらうようにもできる」と言ったが、当然ヴァッカリオは断った。アポロニオと離れられるなんて、その頃には全く考えられなくなっていた。だって、両親とそれから一人で過ごした時間よりも、アポロニオと過ごした時間の方がとっくに長くなっていたし、何より温かさが全然違うのだ。

「人狼は一夫一妻制。繁殖行為は狼よりも人間とほぼ近く――」

内容をほぼ覚えかけたページを意味もなくヴァッカリオは読み上げる。まあ、読んだところでヴァッカリオの抱える問題は何も解消しないのだけど。頼みの綱である師匠のクリュメノスに恥を忍んで相談もした、返ってきた答えは「誰が誰を好きになろうとおかしなことではないし、人を愛せるのならお前は立派に育ったということだ」と。にこりと微笑んで、クリュメノスはヴァッカリオ少年の頭を撫でたのだった。

そうして、クリュメノスは彼の「愛する人」との間にできた愛の結晶をヴァッカリオに自慢するのであった。その子、エウブレナは「ぱぱうるちゃい」などと早い反抗期を迎えていたようだったが。確か、今年、彼の住んでいる森の最寄りのシティの学校に通い始めると言っていたような気がする。

まあとにかく。クリュメノスは存分に娘自慢をしてロクにヴァッカリオ少年の大問題に向き合ってくれなかったのだ。兄を、アポロニオを好きになってしまった、という大問題に。

最初は自分が人狼だからアポロニオの強大な魔力に惹かれたのかとも思ったのだが、どうやら違う。一緒にいる人間が彼しかいないからでは?と考えて、もっと他の人間に目を向ければもしかしたら……と淡い期待を抱いたこともあった。アポロニオに同伴してシティに降りて、同年代の遊び場やちょっと怪しい場所に顔を出してみたが、結局、ヴァッカリオの嗅覚はピクリともしなかった。どのような美男美女にあっても、どれだけ優しく微笑まれても、全く本当にピクリとも。

最後の手段の師匠を頼っても素気無く返され……ヴァッカリオは本を閉じてため息をついた。本当に、冗談でも勘違いでもなく、アポロニオを好きになってしまった。繁殖の相手として選びたい程度には。そんな相手と同居して一つ屋根の下、相手は何も知らずに無防備な姿を晒してくるのだから青少年には少しばかり刺激が強すぎた。

今だって、ちょっと視線をずらせば、青空の下、庭先に干された兄の下着が……なんで女性物をつけているんだあの兄は。ヴァッカリオは最初こそ何も不思議に思わなかったが、思春期の同年代と親交を深めるうちにどうやらアレは女物らしい、という衝撃の事実を知ることになったのだ。さすがにこれは師匠には相談しなかったが、どこか抜けているアポロニオのことだからその辺の女性の魔女にからかわれてそれっきりなのだろう。

(……まあ、注意しようとも思わないけど)

それらの下着もどうやら妖精から糸をもらって自分で織っているようで、どこかで購入しているようなものではないからとりあえず放置だ。
幸いにして、ヴァッカリオは最初のうちこそ女児用の下着を履かされていたが、途中からは自分で服を買うようにしているので兄とお揃いにならずに済んでいる。もし、アポロニオと同じような下着でアヤシイ夜の店に行っていたら、今頃、二度とシティに顔は出せなかっただろう。

はあ、とため息をもう一回ついて、ヴァッカリオは目を閉じた。ここの木陰は風通しが良くて昼寝に最適なのだ。自分の腕を枕にしてうとうと、まどろんでいると、最近、森に居ついた野良猫が寄ってくる。

「がおー、こわい狼様だぞー」

なんて言ってみても、猫は怖がることもなく、ヴァッカリオの近くに丸くなるとぷぅぷぅと寝息を立て始めた。ヴァッカリオがしっかり人狼の気配を遮断できている証拠だ。できていない時のヴァッカリオには小動物は一切近寄ってこなかったし、その辺の成犬や成猫には威嚇される毎日だった。今はもう、耳も尻尾も仕舞えるようになっている。どれもこれもクリュメノスのおかげだが……恋愛方面は、全く頼りにならなかった。

(どうしたもんかね……)

心地よい日差しとそよぐ風の中、ヴァッカリオはもやもやと悩みつつもゆっくりと午睡を貪るのだった。

 

帰宅したアポロニオが、料理をしながらクリュメノスからお前と同い年の可愛い人狼の話を聞いたのだが、と切り出してくるのをヴァッカリオはげんなりとしながら聞いていた。

「お兄ちゃん、おいらの番の話はいいって言ってるじゃん」
「そうは言うが……もう成人したのだから、恋人の一人や二人ぐらい……」
「いらないって!……っていうか、人狼は一夫一妻なんだから恋人が二人いたら困るでしょ」

思わず、強い口調で拒絶したところ、アポロニオが手を止めて驚いたようにこちらを振り返ったので、ヴァッカリオは慌ててへらり、と笑ってちょっとした冗談を付け加えた。アポロニオはヴァッカリオを心配そうに見たあとに、食材に向き直ってからまた手を動かし始めた。しばし、沈黙。

「なあ、ヴァッカリオ……」
「……なに」

少しだけ、気まずい雰囲気が流れる。アポロニオは手を止めずに、そのまま続けた。

「恋人とは言わないが、その、もしかして、誰か好いている人がいるのか……?」
「……あー……」

ヴァッカリオは言葉を濁し、そしてアポロニオは振り返りはしなかったが手を止めた。心地よい包丁のリズム音が止まる。

「好きな人、いる、よ……」
「そ、そうか……相手は、どういった人なのだ?」
「どうって……優しくて、笑顔が眩しくて、ええっと、一緒にいるととても幸せになれる」

アポロニオに背を向けて、ヴァッカリオはぼそぼそと喋った。聞こえてるか聞こえてないかわからない程度の音量で。聞こえたところで、至極一般的なことしか並び立てていないから別段問題はないはずだ。

「……私に、手伝えることはあるか?」
「あー?ないよ、大丈夫。お兄ちゃんに迷惑をかけるようにはしないからさあ」

そうか、とアポロニオは少し困ったように微笑んだ。困っているのはこっちだよ、とヴァッカリオは表に出さないように心の中でだけ叫ぶ。手伝えることも何も、アポロニオがその当の本人なのだ。

「お前のことなら何も迷惑なことはない。困ったことがあればいつでも言って欲しい」
「……わかった」

ヴァッカリオは自分の中の恋心と執着を押し殺して、アポロニオの微笑みに「聞き分けの良い弟」の顔で笑顔を返した。

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